アラサーが童貞卒業するのを目指さなくなってしまった
このブログを作成したのももう2年前以上前だ。
元ブログの名前は「アラサーが童貞を卒業するまでの記録」
ずいぶんたいそうな名前のブログだww
自分はなぜ童貞を卒業したかったのだろうか。ふと考えてみると特に理由はない。
当時のブログを見てみるとこんなことが書かれている。
このブログはどのようなプロセスを経て自分が童貞を卒業できるのかを記録し、同じ悩みを抱える人々の助けになりたいと思い立ち上げた次第である。
残念ながら自分には人々の助けになるほどの力はなかったようだ。
当時は社会人1年目。やる気に満ち溢れていたのだろう。
このブログを開設した後、何回か街コンに行ったりマッチングアプリを利用した後、なんだかめんどくさくなってやめてしまった。
目標として下記を上げていた
- 女性と知り合う、会話をする←達成
- デートをする(おそらく複数回)←達成
- セックスをする←未達成
いちおうマッチングアプリで知り合った女性と何回かデートはした。手もつないだ。キスはしなかったな。
別にまだアラサーではあるから諦めなくてもよいのだが、どうせ努力するなら他のことで努力したいなと思うようになった。
今私のツイッターのタイムラインはいわゆるツイッター論客108選にも選ばれている方々で大半が埋まっている。
彼らのツイートは本当に知的で面白い。彼らのツイートを日々吸収しているからだろうか。もしくは自分の至らなさを何か別の目的にすり替えて自分自身を騙そうとしているのだろうか。
こんな考えが日に日に強くなっていった。
「女性なんかと仲良くなっても搾取されるだけ」
「俺はGood genesにはなれない。なれてもGood dadだ。であればなる意味はない。」
「男らしさから降りよう!」
「弱者男性には理解のある彼くんは現れない。」
彼らの(とひとくくりにしてしまっているが一人一人の意見は驚くほど異なるww)ツイートの一部を抜粋して自分だけの都合のいい意見を作り出しているのは分かる。
しかし自分自身はたとえフェミニストたちが推奨している男らしさから降りる生きたもいいのではないかと考えている。
何なら今までの人生で一度も彼女ができたことがないのが幸いしているのかもしれない。自分自身は親以外の人間にケアしてもらった記憶がない。誰も自分のことを助けてくれる人はいない。
その思いは仕事を始めてからより強固なものとなった。人は自分が思っているよりもはるかに卑しい生き物だ。
他人の不幸を喜び、童貞は馬鹿にされ、失敗は嘲笑され、上司の悪口で盛り上がる。
残念ながら人生はどこまで行っても地獄だ。それは彼女がいようが結婚しようが子供ができようが変わることはない。
そうであるならば私は一人で生きていく道を選びたいと思う。
物理的に一人で生きていく、という意味ではない。人は一人では生きられないのは百も承知だ。
他人に心を開かない、信じられるのは自分だけ、自分をケアできるのは自分だけ、他人と飲みに行ったり遊びに行ったりすることももちろんある、それはそれで楽しい。しかし必要以上に距離感を縮めてうっかり悩みなんて打ち明けないように気をつけねばならない。そういった意識で今後の人生は生きていきたいと思う。
王道の人生からはそれてしまうかもしれないけれどもそれもまた人生。
それでも現代社会に楽しみはたくさんある。苦しみもたくさんある。ここからがスタートだと思えると楽しみになってきますね。